真っ赤なビートルが営業車だったミキハウス
一昨日、自分の誕生日を迎えて、小さい頃のことを少し振りかえってみたくなった。
かれこれもう50年近く前の話。
小学生時代に住んでいた大阪府八尾市東山本地区では、近所の風景はとても面白いものだった。
当時、あのあたりでは近所に本社と工場を持つ"子供服メーカー「ミキハウス」"の内職をしている家がとても多かった。今でいう在宅ワークだが、当時はそんな横文字は使われていなかったと思う。ただ「内職してはる家」という認識だった。
特に印象に残っているのが、ベランダに干された洗濯物の風景。
どの家も物干し竿いっぱいに、当時流行ったストーンウォッシュ加工の小さなデニムがずらりと干されていた。柄からいかにも"ミキハウスらしい"服だらけ。大人の服よりも明らかに小さく、あの家のベランダを見ても、この家のベランダを見ても同じで、数はとにかく多い。
今思えば、あれは商品を仕上げる途中だったんだろう。子供心にも「この町は子供の服でできている」と感じるほどだった。
そして、もうひとつ忘れられない光景がある。
「ミキハウス」の本社や最寄駅では、営業車で使われていた"真っ赤なフォルクスワーゲンのビートル"を見ることがあった。本社の前をチャリンコで通ると丸っこいフォルムのビートルが何台も並んでいて、それはどこか外国映画のワンシーンのようで、不思議とオシャレに見えた。
当時は今以上に日本車が主流だった時代。なのにあえてそんな車を選ぶ。それもクーラーもないビートルを。そのセンスが、子供服メーカーという枠を超えて、「この会社は何か違う」と感じさせていた気がする。
今でこそミキハウスは、日本を代表する高級子供服ブランドとして世界的にも知られているが、その原風景は、町の中に溶け込み、普通の暮らしの延長線上にあった。
洗濯物として干される子供服。
町を走る真っ赤なビートル。
それらは派手な広告でも、戦略的なブランディングでもない。けれど、確かに"空気感"として、あの会社の存在を地域に刻み込んでいた。
ブランドって、こうして人の記憶の中に残っていくんだと思った。
そんな記憶をたどりながら、ふと今の時代を考える。
「クラミニが営業車の会社ってないのかなあ~」
それウチの会社やんか(^^;)
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